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被爆体験記・原爆詩

原爆詩

ヒロシマの空

林幸子(はやしさちこ)

夜 野宿して

やっと避難ひなんさきにたどりついたら

お父ちゃんだけしか いなかった

――お母ちゃんと ユウちゃんが

死んだよお......

八月の太陽は

前を流れる八幡河やはたがわに反射して

父とわたしの泣く声を さえぎった

その あくる日

父は からの菓子箱かしばこをさげ

わたしは くわをかついで

ヒロシマの焼けあと

とぼとぼと あるいていった

やっとたどりついたヒロシマは

死人を焼くにおいにみちていた

それはサンマを焼くにおい

燃えさしの鉄橋を

よたよたわたるお父ちゃんとわたし

昨日よりも沢山たくさん死骸しがい

真夏の熱気にさらされ

体が ぼうちょうして

はみだす 内臓

渦巻うずまく腸

かすかな音をたてながら

どすぐろい きいろいしる

鼻から 口から 耳から

目から とけて流れる

ああ あそこに土蔵の石垣いしがきがみえる

なつかしい わたしの家のあと

井戸の中に 燃えかけの木片が

いていた

台所のあとに

かまがころがり

六日の朝たべた

カボチャの代用食がこげついていた

茶碗ちゃわんのかけらがちらばっている

かわらの中へ くわをうちこむと

はねかえる

お父ちゃんはかわらのうえにしゃがむと

手でそれをのけはじめた

ぐったりとした お父ちゃんは

かぼそい声で指さした

わたしはくわをなげすてて

そこを

陽にさらされて 熱くなったかわら

だまって

一心にりかえす父とわたし

ああ

お母ちゃんの骨だ

ああ ぎゅっとにぎりしめると

白い粉が 風に

お母ちゃんの骨は 口に入れると

さみしい味がする

たえがたいかなしみが

のこされた父とわたしに襲いかかって

大きな声をあげながら

ふたりは 骨をひらう

菓子箱かしばこに入れた骨は

かさかさと 音をたてる

弟は お母ちゃんのすぐそばで

半分 骨になり

内臓が燃えきらないで

ころり と ころがっていた

その内臓に

フトンの綿がこびりついていた

――死んでしまいたい!

お父ちゃんはさけびながら

弟の内臓をだいて泣く

焼跡やけあとには鉄管がつきあげ

噴水ふんすいのようにふきあげる水が

あの時のこされた唯一ゆいいつの生命のように

太陽のひかりを浴びる

わたしは

ひびの入った湯呑ゆの茶碗ちゃわんに水をくむと

弟の内臓の前においた

父は

配給のカンパンをだした

わたしは

じっと 目をつむる

お父ちゃんは

生きめにされた

ふたりの声をききながら

どうしょうもなかったのだ

それからしばらくして

無傷だったお父ちゃんの体に

斑点はんてんがひろがってきた

生きる希望もないお父ちゃん

それでも

のこされる わたしがかあいそうだと

ほしくもないたべ物を のどにとおす

――ブドウが たべたいなあ

――キゥリで がまんしてね

それは九月一日の朝

わたしはキゥリをしぼり

お砂糖を入れて

ジュウスをつくった

お父ちゃんは

生きかえったようだとわたしを見て

わらったけれど

泣いているような

よわよわしい声

ふと お父ちゃんは

虚空こくうをみつめ

――風がひどい

あらしがくる......あらし

といった

ふーっと大きく息をついた

そのまま

がっくりとくずれて

うごかなくなった

ひと月も たたぬまに

わたしは

ひとりぼっちになってしまった

なみだを流しきった あとの

焦点しょうてんのない わたしの からだ

前を流れる河を

みつめる

うつくしく 晴れわたった

ヒロシマの

あおい空

(主婦二十三歳 原爆で両親と弟を失う 当時市内昭和町在住――爆心地から二千米――)

出典:原爆の詩編纂委員会(編)『詩集 原子雲の下より』,青木書店,1952,p.155-162


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